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2014年6月22日 (日)

夕霧に消えた恋 142

宗教家や哲学者は、修行や研究した結果、それぞれ自分の理論が幸福と言う目的の達成には正しくて近道だと理論展開しているのだと思う。

長い積み重ねの結論だと思うけどね、それは、山登りと同じで、登山口は違っても頂上は同でないかな、迷い道もあるかもしれないけどね。

まぁ、幸せになる正しい一点を探していると言う事かな、俺にとっては華奈さんと結婚することが幸せなんだから、勝手で乱暴な考えだけど、今は、この境地が悟りであり、真理だと言ったら、この分野を研究している先生方に、お前はその時だけで良いのか、幸福はお前のためだけじゃないんだ、幸福になる為の教材は皆のものなんだ、ふざけるなと怒られそうだね。

今日は華奈さんとこんな話をする心算でなかったけどそう言う成行きになってしまった。

ついでだけど、人は行き詰った時や、何かに付けて、神様にお願いする場合が多い、それは神様にだけ自分の弱い本当の事を打ち明ける、つまり、ある意味で反省することだから、悪い事じゃない、けど、神様って言うのは、善悪関係なく誰の願いも聞いてくれないと思うよ、別の意味で、宗教的に言えば懺悔し、教えを信じ、それを実践すれば全ての願いを聞いてくれるかも知れない?

俺にとっての神様は、人間が作った神様じゃなく大自然だ、自然は絶対公平だから、誰の言うことも聞いてくれないし、目的も意味も無い、何かを教えてくれる訳でもない。

人は自然に従って体験し、覚えるしかない、人は自分の都合の良い様に過剰な行動をして自然の均衡を崩すと、何時か異状気象やウイルスなど発生し、自然から大きな罰を受けると思うよ。

人は社会の現場で、他人との掛かり合いの中で生きているのだから、自分の我が侭や理想は一方的には通らない、場合によっては間違っている相手の意見だって受け入れるしかない時もあるでしょう、じゃ、どうしようって言うのは次の機会にしよう。

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